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【刀ステ】山姥切国広 単独行のネタバレ感想と考察まとめ【未視聴注意!!!!】

刀剣乱舞

山姥切国広 単独行の初回配信の感想まとめと考察になります。

最初はネタバレあるなしに分けて書こうと思ったのですが、どう書いてもネタバレだしネタバレなしだと悲鳴しか書けなかったので諦めました…。

山姥切国広 単独行は単体で見ると分からないことが満載で、荒牧さんの演技と殺陣にただただ圧倒されるだけになると思います。

ぶっちゃけていうなら山姥切国広が、どれだけ三日月宗近を想っているかという話でもあると思うのです。

なので、刀ステのシリーズ(虚伝・義伝・ジョ伝・悲伝)だけでも最低限見てから単独行の視聴をおすすめします。
今までの積み重ねを少しでも知ってからでないとたぶん分からないことが多すぎると思うので…。

もっというと見ておいてほしいのは他にもあるので、気になる方はこちら↓も参照にしてください。

山姥切国広 単独行は荒牧さんの今までの集大成のような作品だと感じました。
これで荒牧さん引退するとか言われたらどうしようかとなりますね…。

しかし山姥切国広 単独行は多くの謎も残っています。

今回の記事では山姥切国広 単独行の感想と考察についてまとめていきたいと思います。

一個人の考察なので、解釈違いもあるかと思いますが、こういった考え方もあるんだなとご笑覧ください。

山姥切国広 単独行とは何だったのか

山姥切国広 単独行という物語とはつまりこういったことかなと思いました。

  • 山姥切国広が「体感」するのではなく、「想いを馳せる」という考え方を知る
  • 山姥切国広が三日月宗近を信じることを決める
  • 山姥切国広が刀剣男士から逸脱しかけていたのを防ぎ、極の姿に成長する
  • 黒い山姥切国広の朧となった始まりを知る
  • 織田信長はフリー素材

日本刀史に思いを馳せる

山姥切国広は極の修行の後に、もっと強くなるための修行として「織田信長を知る」ことを選びました。

それを選んだのは刀ステ本丸の山姥切国広だからこそでしょうね。

今まで関わってきた歴史上の人物たち、明智光秀、蘭丸、弥助、黒田官兵衛、豊臣秀吉、徳川家康など。
そのほとんどが「織田信長の幻影」に多少の差はあれど捕らわれていると言ってもいい人間たちばかりでした。

彼らにそれだけの影響を与えた「織田信長」に仕えてその覇道と最期を見届けることで織田信長を知ろうと山姥切国広は考えたわけです。

ただこれは、刀剣男士の山姥切国広としてはおかしなことなんですよね。

本来の山姥切国広であれば山姥切の写しとして拘るのではなく山姥切国広として「俺は俺だ」という自信をもって帰ってきていました。

だから自分は最初こう思ってしまいましたね。

「これは山姥切国広の極の修行ではない」
「山姥切国広は何になろうとしてるんだ」

そんな風に序盤から少し怖い思いをしたので、織田信長が山姥切国広の仕官を断ったときにはうっかり拍手しました。
よくぞ断ってくれた。

剣の腕が立つ刀剣男士が仕えたいと言ったのをここまでバッサリと断った人間を初めて見ましたね。(ミュ・ステ込みで)
本来の主がいることまで見抜いた慧眼にさすが織田信長だとなりました。
あまりに傑物すぎる。

それでも織田信長に仕えたいと言い募る国広に、何故だと問う織田信長。

話していくうちにどんどんボロが出て織田信長が死ぬところまで見届けたいことや未来を知っていること、刀剣の化身であることまでバレてしまったので、まんばちゃんはマジで交渉に向いてない。
偽名すら名乗れないまんばちゃんは嘘が付けなすぎるし、織田信長は察しが良すぎる。

三日月宗近を円環から救いたい、本丸を裏切った理由を聞きたいから強くなりたいというまんばちゃん自身の願いを「自分が納得したいだけだ」と斬り捨てる織田信長。

ステ本丸の誰にも指摘できなかったことを突き付ける織田信長がすごい。そこに痺れる憧れる。

ステ本丸の全員が「理由を知りたい」「三日月宗近を救いたい」と多少なりとも願っていたからこそ言えなかったことでしょうね。

第三者であり、かつ人を見抜く目をもった織田信長だからこそ指摘できたことでしょう。
ついでに言うと織田信長は指摘したら相手が傷つくかもしれないと、遠回しに言おうとか言わないでおこうとかいう常人らしい配慮はしないでしょうしね。
たぶんそういった所が人を惹きつけるところでもあり恨まれるところでもあるんでしょうが。

「知ろうとするな。知ろうとすればするほど本質から遠ざかる」

山姥切国広に織田信長はただ思いを馳せることを教えます。

刀剣の鋼のように時代を超えて過去から未来に思いを馳せることは自由。
ふくのすけ(山姥切国広に付けられたおとも)の言うように、これをロマンと呼ぶのでしょう。

山姥切国広が思いを馳せる=歴史上の人物に身をやつしていきます。

神代のスサノオノミコトに扮した山姥切国広による八岐大蛇退治と三種の神器の一つである天叢雲剣あめのむらくものつるぎ

聖徳太子に扮した山姥切国広による七星剣。

三条宗近に扮した山姥切国広による三条小鍛冶 小狐丸。

神代の伝説も歴史も変わりなく物語だという信長に、自分は確かにその通りだと思いました。

歴史に残った単片を繋ぎ合わせて自分たちは当時に思いを馳せて空想していきます。

スサノオや聖徳太子、源義経や足利義輝、伊達政宗などの歴史上の人物を完全に知ることは出来ません。

刀ミュの伊達双騎での伊達政宗を自分は「遺した手紙から励起された伊達政宗のようだ」と感じたように、歴史書や手紙などからどんな人物だったかを想像して今に伝わる歴史・物語になりました。

三条宗近の笑い方や喋り方がまんま三日月宗近なの、山姥切国広による思いを馳せた想像の結果なんだと分かります。

ついでにいうと小狐丸の相槌を打った稲荷大明神の化身が全身白タイツのこんのすけ顔という雑を通り越したビジュアルなのもまんばちゃんの想像力の限界を感じさせますね。

虚伝のUMAと同じレベルすぎて笑ったんだが、まんばちゃんにとって動物ってひょっとしてアレに見えてたりする????

小狐丸が真顔で助走付けて殴っても許されると思う。

あと山姥切国広が歴史上の人物に身をやつしていただけだったはずが、最初はなんで俺が…みたいな感じだったのに、段々と山姥切国広としてすぐに我に返れないくらいのめり込んでいくのはまんばちゃんが感受性豊かだからですかね?
写しだから、誰かの願いや想いを写し取ることに長けてしまっているんでしょうか。

山姥切国広が古墳時代から日本刀の最後に扱われた西南戦争までの日本刀史に想いを馳せながら歴史上の人物に身をやつしていくのは面白かったし、荒牧さんの演技のふり幅に改めてやべえ人だなとなりました。

歴史の授業みたいで、日本史専攻なので楽しかったです。

三日月宗近に思いを馳せることと信じること

日本刀史に思い馳せていった山姥切国広が、今度は三日月宗近に思いを馳せていきます。

なぜ本丸を裏切ったのか
なぜ燭台切を斬ったのか
なぜ自分たちを助けようとしたのか
なぜ山姥切国広を煤けた太陽と呼んだのか
なぜ円環に捕らわれているのか

その理由を聞くために山姥切国広は三日月宗近を円環から救い出したいと願っていました。
そのためにも強くなりたいと考えていた訳です。

しかしそれらは刀剣男士の歴史を守るという本能からは逸脱した願いでした。

ただ知りたいのではなく、まんばちゃんは「自分が納得できる理由を聞きたい」んですよね。

まんばちゃんの葛藤を形にしたかのような黒い山姥切国広が現れ、「三日月宗近を救いたい」と苦悩する様はまるで人間のようでした。

三日月宗近に思いを馳せた結果が「悲伝の三日月宗近を演じる山姥切国広」なのは今までの流れを見てたらそれはそうだろうとなるんですが…一瞬魂が飛びましたね。

あまりにも三日月宗近でした。

声の抑揚も笑い方も表情も狩衣での動き方も太刀捌きも。
悲伝で苦し気に心情を吐露していた姿も約束を交わしたときの微笑みも。

思いを馳せた三日月宗近があれだけの再現度ということは、いったいどれだけ悲伝のあの瞬間をまんばちゃんはくり返し思い返していたんでしょうね…。

もっと他に何かできたんじゃないか、他の言葉をかけていたら違ったんじゃないか、もっと早く勝っていたら止められたんじゃないか。
そんな風に何度も何度も思い返して考えていたのかもしれません。

そうして山姥切国広が三日月宗近に思いを馳せて、最後に残ったのが「温かかった」というのは、きっと、三日月の優しさや本丸を想う気持ちがきちんと伝わったからなのかなと思いました。

温かいと感じた三日月を信じることに決めたまんばちゃんは本当に綺麗な、優しい、良い刀です。

しかしまさか感謝祭で三日月と山姥切国広が入れ替わったのがここに至るフラグだとはさっぱり気付きませんでしたね。

いや気付けてたまるかはちゃめちゃ本丸ランドのあのギャグ路線で。

あとそれはそれとして、荒牧さんの殺陣がすごくないです???

山姥切国広としての鞘を用いた二刀流と、太刀らしい重心の低い移動動作に重い太刀筋。

全然違う殺陣をやってのける荒牧さんが流石すぎる。

黒い山姥切国広は…

織田信長に指摘され、黒い山姥切国広と対峙して自分の歪さを実感した彼の元に時間遡行軍と朧の存在たちが現れます。

彼らは坂本龍馬で、武市半平太で、岡田以蔵で、弥助で、黒田官兵衛たちでした。
朧の刀剣男士のなりそこないとなった人間たち。

土佐組が出た時点で、「なんっっっでだよ!?あそこで救われたんじゃなかったの???!!!」となりましたが後々で納得して着席しました。
維伝最推し審神者には辛いんじゃ。

黒い山姥切国広は「三日月宗近を円環から救い出して理由を聞きたい」と願った山姥切国広の過去のカゲだと朧の存在たちは言います。

ああ、これはひょっとして黒い山姥切国広=明治座の山姥切国広なのかと思った瞬間です。

悲伝で三日月に勝つことができず、約束を交わすことができず、ただ目の前で三日月宗近を失ってしまって、三日月宗近を信じるだけのよすがができなかった明治座の山姥切国広。
いや、ひょっとしたら悲伝千秋楽以外の世界線すべての可能性すらあります。

だからこそ黒い山姥切国広は執拗に三日月宗近を救い出すことに拘ってしまったのかなと思いました。

自分は七周年感謝祭のまんばちゃんは明治座の山姥切国広ではないかと考えているので(感謝祭の感想参照)、悲伝 明治座の山姥切国広=黒い山姥切国広=感謝祭の山姥切国広は同軸上の存在と解釈しました。

末満御大…あんなはちゃめちゃ本丸ランドなんてギャグ時空をお出ししておいてなんて爆弾を仕込んでくれてんですか…。

いや勝手な解釈ですけども…否定できるだけの要素もないので辛い。

煤けた太陽だと呼ばれたのは千秋楽で三日月に勝てた山姥切国広だったんですよね。
明治座の山姥切国広は煤けた太陽と呼ばれた記憶はなかった。

まんばちゃんが黒い山姥切国広に太陽の物語をくれてやると言った理由をまだはっきりと掴み切れてはいません。

まんばちゃんは三日月宗近を助けることを止めた、つまり月を照らす太陽であることを止めたとも考えられますが、それなら黒い山姥切国広に太陽の物語を渡すのは不自然です。

というかあのライティングすべてがまさに山姥切国広を太陽のように輝かせていたので、彼が太陽ではなくなったということじゃないと思います。

自分がこうだったらいいなと想像するのは、まんばちゃんが黒い山姥切国広に「煤けた太陽と呼ばれた山姥切国広」という物語を渡したことで縁ができたのではないか、ということです。

三日月宗近と約束ができず、煤けた太陽とは呼ばれず、三日月宗近と縁を繋ぐことができなかった個体に「煤けた太陽と呼ばれた物語」を与えることで新たに三日月との縁を作った。
その縁により七周年感謝祭で三日月宗近と明治座の山姥切国広が出会うことができたのではないかと、そういう風に考えています。

「これでお前とも縁ができた」というべきか、イメージとしてはFGOで縁ができた=召喚可能になったという感じですね。

救いたいという願いを抱くのは刀剣男士ではない

三日月宗近を円環から救いたい、本丸を裏切った理由を聞きたいから強くなりたいというまんばちゃん自身の願いを「自分が納得したいだけだ」と斬り捨てる織田信長に対して、山姥切国広の答えが三日月宗近に思いを馳せて

救おうとすることを止めて、「三日月宗近を信じる」と決めたことなんだろうと思います。

そして三日月を救うためではなく自身のために強くなることを願った山姥切国広が極の姿へと成長しました。

歴史を守ることは刀剣男士の本能だと今までに何度も言及されてきましたが、その本能を逸脱した「三日月宗近を救いたい」という理由では成長することができないというのも、どうにも少し、やるせない気分にはなりますね。

人間ならば「誰かを救いたいから強くなる」という物語はいくらでもあり得ます。
漫画や小説やゲームでは何度も登場した理由でしょう。

ですが刀剣男士は人間ではない。

人ではないから、人と同じ理由では強くはなれないし、むしろ強くなることを妨げるノイズになってしまうというのは皮肉なことです。

「自分たちのために犠牲になってしまった三日月宗近を救いたい」という願いを捨てきれず抱え続けた果てが朧になってしまった黒い山姥切国広なんですよね。

人であるなら、誰かを助けたいという願いをもった人物なんて主人公格ですよ。
なのに彼は朧になり、刀剣男士ではなくなり、果ては綺伝で山姥切長義に偽物くんのニセモノだと山姥切国広ですらないと断じられて斬り捨てられた。

人間が想い形作った物語が刀剣男士を強くするのに、刀剣男士自身の願いでは強くはなれないのがどこか寂しいと思います。

それを乗り越えたのが極となった山姥切国広であるのですが、では彼ら自身の願いはどこにいけば良いんでしょうかね。

ああ、刀剣男士は人間ではないんだなと、改めて実感しました。

織田信長はフリー素材

だぶん言いたいことは別なんだと思いますが、話の終着点はこれかなとなりました。

織田信長がフリー素材のごとく様々な姿で出てきます。

若武者、おじさん、オネエ、実は女、猫耳、犬耳、ナルシストetc

人外ですらも許容すると言った信長に、織田信長はフリー素材発言かとさすがにちょっと笑いましたが、9割くらい心当たりのある自分は何も言えませんでしたわ。

人が想像するだけ織田信長がいると、自身の死後を隠すことで飛び交う流言飛語を歓迎すると喜んでいた織田信長。

虚伝で宗三が自分には自分の、あなたにはあなたの織田信長がいるといった言葉がまさにそのまんまだとは。

維伝でも一色さんが岡田以蔵について調べたけどよく分からなかった。自分は「岡田以蔵」はこういう人物だと思って演じた、って風に言われてたんですが、結局はそういうことなんだと思いますね。

明智光秀が思う織田信長も、長谷部や不動が思う織田信長も、自分たちが思う織田信長も、まったく同じにはならないでしょう。

色んな解釈があって良い、色んな人物像があって良い。

禺伝の話もまるで創作者への賛歌のようだと思いましたが、これもある意味で、あらゆる創作物・創作者への応援のように感じられました。

織田信長が自身の未来に思いを馳せるたびに時空が歪んでいましたが、織田信長という存在はまさに歴史の特異点のような存在なんでしょうか。

あらゆる時間軸の織田信長の可能性を知ることができる、というか因果関係が逆かもしれませんが。
刀剣男士でいうならば円環に気づき、自らの記憶を保ったままで円環を巡ることができた三日月宗近も特異点なのでしょう。

山姥切国広 単独行で生まれた新たな謎

  • 朧の存在とは何か?
  • 朧となった山姥切国広の今後の行方(始まりと終わりは確定済)
  • 円環に捕らわれている本丸(知ってた)を救う手立ては?
  • 山姥切国広はこれからどうする?

朧ってなに???

おぼろ」という単語が出てきたのは維伝からでしたが、維伝では歴史の中で有り得ない場所にあり得ない人物が存在すること、人間ではなく体の構成要素は刀剣男士に酷似しているものとされました。

もう一ついうなら時間遡行軍にも近いと言われる、朧げな存在。

文久土佐で坂本龍馬が消えた後には彼が使っていた拳銃が残されていたり(ゲームでもアニメでもステでも)しました。

色んな解釈ができるでしょうが、自分は拳銃などを依り代として励起された存在だと考えています。

ステ(鎧)でもミュ(手紙)でも刀以外から励起された存在が今までにもありました。(明言のない考察含む)

そして天伝で出てきた「物の心を励起する審神者の腕」のストックもまだまだあるようでしたし…。

例えば推察ですが

「遺された多くの手紙から推察される伊達政宗」

「刀の代わりに拳銃を握った時代の革命児 坂本龍馬」

「打ち首にならず用心棒として刀を振るい続ける岡田以蔵」

「織田信長に勝ちたいという野心を抱えた黒田官兵衛」

刀剣男士たちのようにその品自体の人格ではなく、「誰かが思う○○」という考えから生まれた存在といえるかもしれませんね。

フリー素材は織田信長だけじゃないということでしょうか。

しかしながら「誰かが思う○○」という自己のない不確かな在り様のためか、存在が朧となってしまったと考えられます。

黒い山姥切国広が強くなるための物語を求める朧の存在となってしまったのも、本来の刀剣男士の在り方から逸脱してしまったからかもしれません。

刀剣男士:山姥切国広ではなく、「俺は俺だ」と言えない「三日月宗近を助けるための山姥切国広」になったというか…。

刀剣男士は物に宿った心が励起された存在です。

物に宿った心とは何か?
自分は周囲の人々の感情が大きな影響を与えると考えます。

「あの刀は綺麗だ」
「強い」
「家宝だ」
「○○を倒した名刀だ」
「△△が所持した名剣だ」

そんな風に賞賛されて噂されて大事にされた、長く想われた刀が刀剣男士になったんだと思います。

ですが「三日月宗近を助けようとする山姥切国広」なんていう刀の存在は誰も知らないんですよね。
あえていうならステ本丸を見てきた審神者でしょうか。…意外に多そうだな。
しかしながら歴史に名を刻めるほどではないため語り継がれる物語としてはやはり足りないのでしょう。

だから存在強度が低い、朧の存在となってしまった。
そのせいかより一層、強くなるため、自身の存在を示すための物語を求めて彷徨うことになったのではないでしょうか。

始まりの刀は陸奥守吉行?

今作で1,2を争うくらいの衝撃だったのが、黒田官兵衛(たぶん)が陸奥守吉行を始まりの刀と呼んだことです。

待ってまさかの初期刀が陸奥守??

いやいやいや維伝のパンフレットで顕現順が①山姥切国広⇒②小夜左文字だったはず。

今の陸奥守がまさかの二振り目とかいうオチが来ない限り陸奥守が初期刀説はない…はず。
待って頼む。本当に一番最初の初期刀と初鍛刀が折れたとかは止めて。
どんな顔してどんな情緒で維伝を見たらいいか分からんくなる。

感謝祭で始まりの五振りとして紹介されたみたいに、初期刀組という括りであれ。

朧となった山姥切国広の今後の行方(始まりと終わりは確定済)

朧となった山姥切国広は文久土佐へと送られることになります。

ああ、そこから繋がるんだ…となりました。

文久土佐、つまり維伝では朧の山姥切国広ははっきりと山姥切国広と気づかれないながらも鶴丸と対峙したり陸奥守を助けるなどまだ元のまんばちゃんを感じられていました。

しかし慶長熊本の綺伝では山姥切長義と対峙し、長義から偽物くんですらないニセモノだと断じられ斬り捨てられてしまいました。

何があって、どれだけ変質してしまったのかは分かりません。

分かりませんが、本歌である山姥切長義が最期を見届けたのはある種の救いなのかなとも思いました。

ステ本丸の山姥切長義は美しく誇り高く苛烈な刀なので、彼が本当の山姥切国広だと気付いていたとしても同じように斬ったでしょうね。

それが本歌としての堕ちた写しに対する慈悲とすら考えてそう。

この結末は美しいとは思いますが、同時に惨いものだと思います。

余談ですがいつか10周年くらいの大演練でミュの「美しい悲劇」を伯仲で歌いませんか?
たぶん涙を流しながら卒倒する審神者続出すると思う。
三日月宗近と山姥切国広でも同じく。

そして文久土佐に送られたのが初期刀組が関連する場所だからと考えると今後の彼の行方もなんとなく分かりますね。

つまり時系列としてはこういうことですね?
聚楽第の位置は時系列的には慈伝の前なのですが、朧の山姥切国広と気づかれないまま何かがあった可能性がありますね。

維伝:文久土佐(陸奥守)

慶応甲府(加州)
天保江戸(蜂須賀)
聚楽第(山姥切国広)

綺伝:慶長熊本(歌仙)

次作の慶応甲府で黒い山姥切国広が出るのほぼ確定では???

まって一文字則宗ですでに泣く覚悟決めてるのに黒いまんばちゃんまで出されたらどうしたらいいの。

そしててんえどと聚楽第でも情緒を引っ掻き回すんでしょう知ってる。

綺麗な終わりが確定してるからってその道程でどんな無茶苦茶やっても許される訳じゃないが??

末満御大マジで血が緑色(褒めている)

山姥切国広の今後は?

極の姿になった山姥切国広は三日月だけでなく本丸自体がループしていると知らされ、それを救うために旅立つ決心を固めます。

三日月を円環から救うことを止めたまんばちゃんが、本丸を救うために三日月と同じように円環を巡ろうとしているのは皮肉というか…三日月のポジションにまんばちゃんが入った感じじゃないですかねぇ?

円環に捕らわれている本丸(知ってた)を救うために具体的な手立てはたぶんまんばちゃんも知らなそう。

三日月ですら知らなくてより良い結末に導くために黙って奔走するしかなかった訳ですからね…。

でもまんばちゃんが三日月みたいに黙って上手く立ち回れるかっていったら無理そうな気しかしない。

例えば中身が極のまんばちゃんが初の姿を装って慈伝前の聚楽第で監査官やってる長義と出逢ったとして、上手いこと会話できるか?となります。

空気が死ぬかギャグにしかならなそう。長谷部(ツッコミ)を連れて行ってほしい。

たぶん三日月と同程度に立ち回るのは無理だから諦めて影から手を出すくらいが良いと思われる。

山姥切国広のこれからの旅は辛いものになると思います。
深く想像すると辛いはずですが現在は何故かギャグのような世界線しか浮かばないので脳が真面目に考えるのを拒否してる感じがしますね…。

山姥切国広 単独行の配信情報

アーカイブ配信が始まりました!

11/12の千秋楽配信で昼公演は全景、夜公演の大千秋楽はスイッチング映像になります。

■配信公演

公演日程:2023年11/12(日)視聴期限値段
13:00公演(全景映像)30日間1,800円
18:00公演(スイッチング映像)特典映像付き30日間2,600円
13:00公演(全景映像)7日間1,100円
18:00公演(スイッチング映像)特典映像付き7日間1,550円

今までの刀ステ公演からするとかなり安いですね!?

■ライブ配信

入場:2023年10月8日(日)17:00~
開始:2023年10月8日(日)18:00~
終了:ライブ配信終了まで(予定)

見逃し配信

開始:2023年10月9日(月・祝)18:00~
終了:2023年10月12日(木)23:59まで

販売期間

2023年10月12日(木)18:00まで

■値段

3800円(税込み)

  • 本公演は複数のカメラによるスイッチング映像です。

◆11/12楽日の昼(全景)・夜(スイッチング)

・2公演FULLセット:5,800円(税込)

・昼公演(全景):2,500円(税込)

・千秋楽 夜公演(スイッチング):3,800円(税込)

■販売開始:2023年11月5日(日)12:00~

山姥切国広 単独行の感想と考察まとめ

山姥切国広 単独行を見た感想と考察についてまとめてみました。

様々な解釈と考察をしましたが、解釈違いなどもあるかもしれません。
こんな考え方もあるんだなとスルーしていただけたら幸いです。

刀ステはどの話もそうですが、色々な考え方や解釈により話が一段と深くなるので何回見てもどの話を見ても楽しめる作品だと思います。

特に今作では悲伝と維伝と綺伝も見返したくなりました。

今見たらまた違う見方ができそうな気もします。

山姥切国広の新たな姿と戦いを見届けてあげてください。

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