PR

【刀ミュ】静かなる夜半の目覚め 初日ネタバレ感想レポ ― 伯仲推しの死がきた

刀剣乱舞

ミュージカル『刀剣乱舞』〜静かなる夜半の寝ざめ〜を初日配信で視聴しました。

今作は、足利尊氏と足利直義という兄弟の争いを軸に、山姥切国広・山姥切長義――伯仲の関係性を重ねて描く物語です。

本記事では、初日配信時点での1部ミュージカルの感想・考察と、2部ライブのセットリストおよび感想をまとめています。

ネタバレは物語全体の流れに触れていますので、未視聴の方はご注意ください。


ミュージカル『刀剣乱舞』〜静かなる夜半の寝ざめ〜公演情報

ミュージカル『刀剣乱舞』〜静かなる夜半の寝ざめ〜は、刀ミュ本公演シリーズの一作として上演された作品です。

ここでは、上演時間・出演キャスト・公演日程・配信情報について、公式発表をもとに簡単にまとめています。
詳細や最新情報については、あわせて公式サイトもご確認ください。

公演情報

■ 公演日程・会場

公演は 2025年12月〜2026年3月 にかけて、複数都市で開催予定です。

  • 東京公演:2025年12月14日(日)〜12月21日(日)
    会場:Kanadevia Hall(旧TOKYO DOME CITY HALL)
  • 福岡公演:2026年1月9日(金)〜1月12日(月・祝)
    会場:福岡サンパレス ホテル&ホール
  • 大阪公演:2026年1月24日(土)〜2月15日(日)
    会場:SkyシアターMBS
  • 東京凱旋公演:2026年2月21日(土)〜3月1日(日)
    会場:Kanadevia Hall(旧TOKYO DOME CITY HALL)

■ 上演時間

1部ミュージカル公演:約2時間15分
休憩(20分)
2部LIVE:約40分

■ 出演キャスト一覧(主な刀剣男士・主要人物)

役名俳優
にっかり青江新木宏典
五月雨江山﨑晶吾
山姥切国広加藤大悟
へし切長谷部木原瑠生
山姥切長義水江建太
後家兼光佐奈宏紀
足利尊氏藤田玲
足利直義藤原祐規
足利直冬青木瞭
佐々木道誉山岸門人
守人酒井敏也

配信情報

ミュージカル『刀剣乱舞』〜静かなる夜半の寝ざめ〜 は、DMM TVにて配信中です。

今作は、物語・関係性・台詞の一つひとつに情報量が多く、正直、一度観ただけでは追いきれないタイプの公演だと感じました。

初日配信や見逃し配信であれば、

  • 細かい表情や仕草をじっくり確認できる
  • 台詞や歌詞を噛みしめながら見返せる
  • 気になった場面を何度でも巻き戻せる

という点で、かなり相性がいいです。

これから観る方も、すでに視聴済みで感情を整理したい方にも、配信での視聴はおすすめです。

  • 初日 2025年12月14日(日) の公演はライブ配信あり THEATER GIRL
  • 3月1日(日) 大千秋楽もライブ配信+全国映画館でのライブビューイング予定あり(全国劇場上映)

1部ミュージカル感想:伯仲と足利兄弟

『〜静かなる夜半の寝ざめ〜』は物語としては非常に情報量が多く、登場人物も、場面軸も、扱われるテーマも重なり合って進んでいきます。

ただ、観ていく中で意識しておくと整理しやすい軸は、いくつかはっきりしています。

一つ目は、足利尊氏と足利直義という兄弟の関係です。
同じ理想を抱いていたはずの二人が、現実と政治の中ですれ違い、取り返しのつかないところまで分断されていく過程が、この物語の大きな土台になっています。

二つ目は、みちのくに作られた「独立共和国」という存在
争いを拒み、民のために作られた理想の国でありながら、その理想そのものが時代や力関係の中で歪みを生んでいく様子が、繰り返し描かれます。

そして三つ目が、山姥切国広と山姥切長義です。
今作では、この二振りが単に共演するだけでなく、足利兄弟や共和国の在り方と重なる位置に置かれているように感じられます。

この三つはそれぞれ独立した要素ではなく、物語が進むにつれて少しずつ絡み合い、後半に向かって収束していきます。

以下ではまず、物語の流れを時系列に整理しつつ、その中でこれらの要素がどのように配置されていったのかを見ていきます。
感想や考察については、その後で改めて触れていきます。

物語の導入:最初から漂う“この任務、重すぎない?”感

物語の始まりは、山姥切長義が歌う「花の雨」からでした。
静かでどこか悲しい色を帯びたこの歌は、今になって思えば最初から今作が明るい物語ではないことを示していたんですね。

その歌に応じるように現れるのが、極の姿となったにっかり青江。確か本公演での極衣装は初ですね。
青江は「君も知っているんだ」と長義に語りかけ、「花の雨」が歌仙兼定によって作られた歌であり、散っていった数多の命のための歌であることが語られます。

待って、その情報も初出ですね?
この時点で、歌仙の存在や“折れた刀”という要素が、物語の底に静かに沈められているのが分かりますが、あまりにもサラッとお出しされて感情が追いつかないまま物語は進んでいきます。

続いて登場するのは、修行を終えて極となった山姥切国広。その姿のお披露目も初ですねぇ!?

坂龍飛騰では修行の旅に出たらしいことがほのめかされていましたが、実際に山姥切国広が修行の旅に出たのだと思うと感慨深いものがあります。
山姥切国広は江水で初めて登場したときから希死念慮があり、自身が隊長を務めた部隊で誰かが折れてしまったトラウマを抱えてきた刀でした。 それが陸奥一蓮と参騎出陣を通して自身の過去を乗り越えてきたのだと思います。

元からすでに極ているんじゃないかというくらい太々しい性格でしたが、「あんたのための刀だ」と歌う姿にグッときます。相変わらず綺麗な高音。

山姥切長義と山姥切国広が手合わせを行いますが、主からの呼び出しもあると途中で中断。長義は不満を残したまま。
普段は穏やかな長義がここまで不機嫌で苛立いらだつ様子は刀ミュでは珍しいと思ってしまいます。
このやり取りだけでも、伯仲の間にある噛み合わなさが、すでにさりげなく描かれていますね。

そして、主から新たな任務が告げられます。
編成された部隊は、山姥切長義を隊長に、山姥切国広、にっかり青江、五月雨江、へし切長谷部、後家兼光の六振り。
打刀と脇差のみという、刀ミュでも珍しい構成です。二刀開眼しまくってほしい。

任務の内容は、南北朝時代――足利尊氏と足利直義の兄弟が対立する時代において、本来は存在しなかったはずの「独立共和国」が、みちのくに誕生してしまった歴史を修正すること

民衆による民衆のための国家、争いを否定する非武装の国。
現代的な価値観ですら成立が難しい概念が、南北朝という時代に存在していること自体が、明らかに異常です。

当時の東北には、正史にほとんど記録が残っていないそうです。
まつろわぬ民たちの小規模な反乱はあったものの、大きな戦として記されることもなく、歴史の中では曖昧なまま消えている。
その“正史の浅さ”こそを、歴史修正主義者に突かれたんでしょうね。

共和国の誕生をなかったことにする――
つまり、そこで営まれている人々の暮らしごと、歴史から消し去る任務。
この時点で刀剣男士たちに与えられた役割が、単なる戦いではないことがはっきりします。

オープニング曲「刀剣乱舞」は、どこか不安を煽るアレンジで、血を思わせる赤いライトの演出も相まって、物語全体に不穏な妖しさを想起させます。
この任務が、誰かにとって救いになるものではなく、避けがたい犠牲を伴うものであることを、最初から突きつけてくる導入でした。

部隊編成と三分割進行(みちのく/鎌倉/九州)

任務開始後、部隊は早い段階で三つに分けられます。
足利直義がいるみちのくへ向かうのが、山姥切長義・五月雨江・後家兼光。
足利尊氏がいる鎌倉には、山姥切国広とにっかり青江。
そして九州には、足利直義の養子である足利直冬がいるとして、へし切長谷部が単独で向かいます。

この分断は、情報収集の効率を優先した長義の采配によるものでした。

国広はその判断に対して、時間遡行軍が集まっている東北に一度集結するべきではないかと問いかけますが、
長義は「効率のためだ。他に質問は?」と被せるように強めに制します。
国広はそれ以上踏み込まず、「ない」と答えますが、ここで既に隊長としての長義の張り詰めた様子が見えてきます。

このやり取り自体は短いものの、
・長義が背負っている責任の重さ
・国広がそれを理解しつつ引いている距離感
が、端的に示される場面でもありました。

国広がかなりきつめに当たられてますけど、元が太々しく更に極た国広だから割と大丈夫そうだなというのがちょっとあります。
二振りがようやく共演するようになったのは先に国広が極たからだろうなというのが伺えますね。 そして長谷部や五月雨のフォローもありがたい。

長谷部「なんでお前は山姥切国広の前だとそうなんだ」
五月雨「いつもはもっと素直でしょう」
長義「うるさいうるさい」

花影で殴り合って分かりあった長谷部の対等な立ち位置もいいし、五月雨が長義をつんつんしてるのも徳川美術館に一緒に所蔵されている同居(徳美組)の気安さがあっていいですね。
「長義がいつもと違う」ということを明示してくれて、かつギスギスした雰囲気を和らげてくれます。

三分割された先々では、それぞれが異なる種類の“異常”と向き合うことになります。
理想の国が存在してしまったみちのく、
権力と孤独の中にいる尊氏がいる鎌倉、
そして個人的な憎しみと復讐心を抱える直冬がいる九州。

物理的に離れているだけでなく、それぞれが別の角度から「この任務の歪さ」を突きつけられる構造になっているのが印象的でした。

また、この三分割進行は演出的にも効果的で、登場人物が多いにもかかわらず、誰かの出番や言葉が極端に削られることがありません。
物語上の必然と、舞台構成上の工夫がうまく噛み合っていると感じました。

みちのく独立共和国:理想だけで作られた国の危うさ

みちのくに作られた独立共和国は、作中で繰り返し「理想の国」として語られます。
戦や貧しさから逃れてきた人々が集まり、民衆による民衆のための国家として築かれた場所。

武力を持たず、兵も軍も持たない非武装国家。
幼い兄弟が腹いっぱい食べられるようになったという語りは、あまりにも穏やかで、あまりにも幸福そうです。

けれど、その説明を聞けば聞くほど、この国が決して長く続くはずのないものであることも、同時に突きつけられます。

2025年の現代ですら難しい非武装国家が、戦乱の火種を無数に抱えた南北朝時代に存在していけるわけもない。

長義、五月雨、後家が目にする共和国は、確かに争いのない場所であり、人々はそれぞれの暮らしを営み、笑顔もある。

だからこそ、これをなかったことにしなければならない任務の重さが、静かに、しかし確実にのしかかってきます。

共和国を作った足利直義は、争いのない国を夢見た人物として描かれています。
尊氏とかつて静かな夜半に目覚め、争いのない国を作ろうと理想を語り合い、そしてその理想を守るために、非武装という選択をした。

「武器を持たなければ攻められない」
その考え方は、あまりにも無垢で、あまりにも危うい。

天啓を得たと言っていましたが、当時にあり得るはずのない「独立共和国」という概念そのものが、時間遡行軍に付け入られた結果なのでしょう。

後家兼光の
「誰がそう信じさせたのかな」
という言葉は、足利直義だけの罪ではないと示しつつ、先にある破綻を見ようとせず、理想を盲信してしまう危うさを静かに突きつけていました。

理想そのものが人を縛り、民を守るはずの思想が、結果的に民を逃げ場のない場所へ閉じ込めてしまう。
共和国は、誰かが悪意をもって作った国ではありません。
むしろ、善意と願いだけで作られてしまったがゆえに、修正不能な存在になってしまった国。

みちのくの独立共和国は、城と城下町を一体化させた「総構そうがまえ」の構造を取っています。
これは、山姥切長義の元主である北条氏が築いた小田原城と同じ形式でした。

北条征伐の際、小田原城では民も武器を取って戦おうとしていたと伝えられています。
しかし、へし切長谷部の元主である黒田官兵衛が武器を持たず単身で城に入り、説得によって無血開城を成し遂げたことで、民は救われました。

同じように、城と民がひとつになった構造を持つみちのくの独立共和国も、一見すると守られているように見えます。
けれど、ひとたび事態が動き出したとき、民を守るための「力」もなく「交渉の余地」も残されていないことは、容易に想像できてしまう。

その先行きの暗さは、まだ語られていない未来として、すでに作中の随所に滲んでいました。

長義が歌う
「覚悟なきは愚か、力なきは愚か、理想だけでは守れはしない、一人よがりな絵空事」
という言葉は、共和国と直義自身へ向けられた断罪であると同時に、自分自身への怒りにも聞こえました。

どう思う?と長義は五月雨に問いかけ、
五月雨も「踏み荒らされる前の名もなき野の花のよう。悲しい歌になりそうだ。長谷部がいたら怒鳴り散らしているでしょう。あなたのように」 と返します。

「巻き込まれるのはいつだって…」 その先に続く言葉は、やはり「民」なのでしょう。

この国は、滅ぼされるべき悪ではありません。
しかし、存続できる未来も、どうしても思い描けない。

そのどうしようもなさが、みちのくの独立共和国という存在を、ただ悲しいだけでなく、恐ろしいものとして際立たせているのだと思いました。

作中劇の完成度:白拍子・長義がすべてを持っていった

みちのく共和国に入り直義にどう接触するか悩んでいた3振りの前に現れるのが、婆娑羅ばさら大名として名高い佐々木道誉。
足利直義に近づこうとする立場でありますが、3振りを「べっぴんの集まり」だとか長義に対しても「白拍子も似合いそうだ」と言い放つあたり、とても趣味と話が合いそうかなりの変わり者のようです。

佐々木道誉に引きずられる形で、長義・五月雨・後家は猿楽の一座に扮して潜入することになります。

そして始まる作中劇。
源頼朝と源義経という、みちのくの平泉で起きたまた別の悲劇的な兄弟の物語をなぞる猿楽が披露されます。

足利兄弟と伯仲の物語が進行している最中に、さらに兄弟の悲劇を重ねてくる構成自体、冷静に考えればかなり不穏です。

――が、正直、それどころではありませんでした。

白拍子として舞台に立つのは、山姥切長義。
白拍子。白拍子!!!????

元来、白拍子とは男装の女性を指す存在ですが、男性が、しかも山姥切長義が演じることで、その美しさは理屈をすべて置き去りにして成立していました。
怪しい色気と、張り詰めた気配。

ヤバくないですか…?

源義経と藤原泰衡を演じる五月雨と後家が刃を交える中、静御前は蓮の花を手に舞います。
刃と花、武と舞。
武士と白拍子という対比があまりにも鮮烈で、これはもう作中劇という枠では収まりません。
ひとつの完成された舞台として、完全に成立してしまっている。

静御前が源氏の敵である平清盛の前で義経への恋心を舞で示したという逸話を思い起こさせる構図も含め、「想いを武ではなく、舞で示す」という選択が、強烈な余韻を残します。
彼女にとっての刃が踊りであり、蓮の花だったのだとしたら――そんな考えすら浮かびました。

……いや、考えたはずなのに、気づけばそれすらどうでもよくなっていました。
とにかく、目が足りない。五月雨も後家も珍しく和装で格好いい。
ただ長義の白拍子から、視線が戻ってこない。

タイムラインが伯仲推しの断末魔で埋まったのも、無理はないと思います。
道誉さんのプロモーション、強すぎる。

もちろんこの作中劇が、足利兄弟の物語そして伯仲の関係性を、源頼朝と義経の兄弟になぞらえて映し出していることは分かっています。
この兄弟もまた、同じ結末へと向かうのではないか。
その示唆が、確かにここにはあります。

けれど、その不穏ささえも、長義の白拍子という圧倒的な衝撃の前では霞んでしまう。
理解と感情が乖離して語彙が溶けるんですけども本当にどうしましょう。

猿楽の演目は成功し、直義との接触に成功する訳ですが、それはそうだろうというか、何を言えばいいか分からなくなる瞬間ってあるんだと悟らされました。
美しさに打ちのめされながら、同時に、物語が取り返しのつかない場所へ進んでいることも分かってしまう。
感情が追いつかないまま、ただ「反則だ」と思わされる。

今作の中でも、忘れがたい場面のひとつです。

九州(長谷部×直冬)で生まれた絆

九州に向かったへし切長谷部が対峙するのは、足利直義の養子であり、尊氏の庶子でもある足利直冬です。

直冬は、剣術の鍛錬に励みながらも、自身の出自と扱われ方に強い憤りを抱えています。
身分の低い相手に産ませた子であるという理由で、実子でありながら弟の直義に引き取られた――その事実を、直冬は「捨てられた」と受け取っていました。

「自分を下げ渡したあの男に復讐する」
その言葉は、あまりにも率直で、そして長谷部にとっては無視できない重さを持っています。

へし切長谷部にとって、「選ばれなかった」「価値を与えられなかった」という直冬の痛みは、長谷部の根幹に、否応なく触れてしまいます。

だからこそか、長谷部は直冬に、ただ力でねじ伏せるのではなく、剣の在り方、生き方そのものを説いていきます。

「想いに形はないが、一撃の重さは増す。
怒りに形はないが、切っ先は鋭さを増す。
刀に命が宿る」

人の願いによって生まれ、人の想いによって存続してきた刀剣男士だからこそ語れる言葉でした。

「握られれば、あなたの一部」
刀とは何か、強さとは何かを、静かに、しかし逃げ場なく突きつける場面です。

また、直冬が長谷部の敬語を
「奇妙な口調をやめろ。お前は人には慣れぬ犬だ」と制する場面も印象的でした。

主以外には懐かない犬。
その本質を即座に見抜く慧眼と、対等であることを求める態度。
直冬には、憎しみだけでは片づけられない器の大きさがあります。

生まれが違えば足利尊氏の後継ぎとして申し分ない働きをしたのかもしれないと思わせる一幕でした。

この九州パートで描かれるのは、理想や国家ではなく、個人の尊厳とどうしようもない復讐心です。

共和国が「善意から生まれた歪み」だとするなら、直冬の抱える感情は、あまりにも人間的で、否定しきれないものでもあります。

へし切長谷部と足利直冬。
ある意味で師弟のようなこの関係性が、この先で救いになるのか、それとも破滅へと転がっていくのか。

その行く末を想像しただけで、観ている側の心が、じわじわと締め付けられる。
九州パートは、穏やかでありながらそんな静かな重さを最後まで残し続ける場面でした。

鎌倉(国広×青江)と伏線の提示

足利尊氏の元に向かったのは、山姥切国広とにっかり青江の極た古参二振り。
この組み合わせは、戦力というよりも、“知っている側”が配置されたような印象を受けました。

鎌倉では時間遡行軍との戦闘が描かれますが、久しぶりに見る青江の殺陣は軽やかで、どこか余裕すら感じさせます。

そこに現れるのが、足利尊氏。
尊氏は、自身を「闇の中にいるようだ」と語りますが、
それに対する国広の
「自ら目を閉じているだけだ」
という返しは、非常に端的でありながら核心を突いていました。

尊氏は孤独であり、弟から憎まれていると思い込み、屍の上に立つ悪夢に苦しんでいました。
実際の直義は兄と誓った理想のために新たな国を作ったけれど、兄である尊氏は自身への反逆だと捉えてしまっていました。
その目は、確かに自ら閉じているようにも見えます。

「目を開けば前に進める」と青江と国広は尊氏を諭しますが、それは直義を説得するときほどに切羽詰まった感じはありませんでした。
尊氏が目を閉じたままでも、おそらくは被害の多寡に違いはないというのもあるでしょう。
歴史の通りであれば、どうあっても尊氏は直義を失います。例え和解したとしても、尊氏にとっての犠牲はなにも変わらないのであれば説得する意味は確かにありません。
それでも、兄を慕う弟への誤解を解こうと、言わずにはいられなかったのが二振りの優しさだと思いました。

過去回想や心情の吐露などの舞台転換も暗転と照明だけで自然に切り替わり、観客の感情移入を邪魔しない演出も見事です。

また、この鎌倉パートで特に印象的なのが、祠を守る“守人”とのやり取りです。

青江は、祠が何であるかを知っているような素振りを見せ、守人も
「これは楔」「ひっそりと生きると神様と約束した」
という意味深な言葉が語られます。

今までの経緯からも、いつかどこかの世界線で三日月宗近に救われた物部の一人であろうと察することはできます。

しかしながら、ここでさらりと出てくるのが、
「三日月宗近は、歌仙が折れる前の時点に辿り着く方法を探しているのかもしれない」
という発言。

あまりにも重要な情報が、あまりにも日常会話のように差し込まれるため、一瞬聞き流しそうになりますが、シリーズ全体を追っていると、決して軽く扱えない一言です。

「そうかもしれない」と思っていた予想があっさりと形になって、飲み込むのに少し時間がかかってしまいました。

歌仙が折れた事件。
そして三日月宗近。

これらが、この場所と、この時代と、静かに繋がっている可能性が示されます。

この鎌倉パートは、派手な展開こそ少ないものの、これまでのシリーズを通した謎に迫り、物語の“奥行き”を一気に広げる役割を担っています。

みちのくで描かれる理想の破綻、九州で描かれる個人の復讐心。
それらとは別に、もっと長い時間軸で進行している物語が存在することを、静かに示す章でした。

すれ違う伯仲、それでも壊れない距離感

無血開城を巡る説得が難航する中で、山姥切長義は明らかに追い詰められていました。

民を巻き込む未来を自らが選ばなければならない。
隊長として決断しなければならない立場が、彼の言葉を必要以上に鋭くしていきます。

国広の気遣いすら、長義には煽りのように聞こえてしまったのかもしれません。

「放棄はさせない。
 お前のように失敗するとでも!?
 全員を本丸に帰す!」

最初に聞いたときは正直、一線を越えたとも言える言葉だと思いました。

それでも続く流れは山姥切国広が“傷ついていない”ことも分かるものでした。

青江がさりげなく声をかけます。

「大丈夫?」

それに対して国広は、迷いなく答えます。

「もちろんだ」

国広のこの返事は、自分が平気だという宣言であると同時に、長義を責めるつもりはない、という意思表示にも聞こえました。

何も思わないわけではないでしょう。
それでも、反発もしない。
怒りをぶつけることもなく、むしろ長義の状態を案じているようにも見えます。

今作では描かれていませんが、国広はこれまでにも
「できれば長義がいいんだが」
と語り、共に出陣することを望んできた刀です。

長義が気乗りしない役回りを、自分が率先して引き受けようとする姿も、決して珍しいものではありません。

国広にとって長義は、「伯仲の出来」と言われるように対立する相手ではあっても、拒絶する存在ではない。

だからこそ、この場面のすれ違いは険悪さよりも、不器用さが際立ちます。

一方で、周囲の刀たちも黙ってはいません。

明らかに無理をしている長義に対して、五月雨が散歩に誘い、後家兼光が軽口を叩き、長谷部が何気ない調子で場を和ませる。

長義「五月雨江は優しいな」
五月雨「た、ただの散歩です」
後家「愛だね〜」
五月雨「すべてを愛で片づける癖は改めた方がいいですよ」

軽いやり取りの中に、長義を一人にしないという意思が、確かにあります。

長義自身も、ぽつりと胸の内をこぼします。

「重ねていた自覚はないが、まさか自分がこの立場になるとは思わなかった」

北条征伐の歴史を背負う刀として、攻め込まれる側の痛みを理解してしまうこと。
それが、彼の判断をより苦しいものにしているのでしょう。

その空気を感じ取った長谷部が、いつもの調子で割り込みます。

長谷部「あ〜、綺麗な星だ〜。……どうやら手合わせは必要なさそうだな」

長義「ああ。煮詰まってはいない」

花影で、煮詰まった長谷部と殴り合いという名の手合わせをしたことを思い出しますね。
この関係性もまた、刀ミュで積み重ねられてきた縁です。

そして、国広は単身で直義の元へ向かいます。

確かに最初からみちのくの共和国にやってきた長義よりも、攻め入ろうとしている足利尊氏側から来た国広の方が説得に重みは増すでしょう。

しかし説得は叶わず、戻ってきた国広に長義は言います。

長義「隊長は俺だ。勝手に動くな」

その言葉を背に、立ち去る長義。

残された国広に、青江が声をかけます。

青江「同じことをしようとして、君に先を越されたんだね。君たちは、よく似ている」

青江の脇差(フォロー)力が天元突破してますね。これが極めた個体か…。

この時点で、伯仲はまだ分かり合えていません。
けれど、決定的に壊れてもいない。
もどかしい距離感ながらも、周囲のフォローもあって少しずつ前進する未来も感じさせます。

理解し合えた兄弟と、それでも失われたもの

みちのくの独立共和国は、最終的に回避されることはありませんでした。
足利尊氏の軍勢が動き、非武装の共和国は抗う術もなく崩れていきます。

争いを拒み、武力を持たないという選択。
それは直義にとって理想を手放さないという意思表示であり、同時に兄を盲目的に信じるという、あまりにも危うい賭けでもあったと思います。

尊氏は共和国を
「死を待つだけの国」
と評しながらも、
「美しい国だ」とも語ります。

それは兄として、為政者として、この国が理想であることを理解しながらも、生き延びることはできないと分かってしまっている者の言葉だったように思います。

今作の足利兄弟は、互いを憎み合っている存在としては描かれていません。
かつて静かな夜半に目を覚まし、酒を酌み交わしながら、争いのない国を作りたいと理想を語り合った兄弟でした。

その理想は、形を変え歪みながら、呪いのように直義の中で生き続けていたのでしょう。

共和国の最期は「何かを信じた無辜の民を死なせなければならない」という、どこかパライソを思い出させる結末で、歴史の悲哀と刀剣男士のやるせなさを感じさせます。

ミュージカルの歌は登場人物の心情を歌い上げる役割を果たしていると認識してるのですが、この、「共和国を滅びに向かわせる」刀剣男士の歌が1部を通して一番美しく悲しく心に響きました。

敗北した直義は尊氏に目通りを願います。
そしてまるで最期を悟っているかのように告げるのは、かつて白拍子として舞った長義に向けた言葉でした。

「何も残らないとしても、われらのことを覚えてくれる花は、どこかにいるのか」

それに対して、長義は答えます。
「俺が覚えている」

このやり取りは、直義にとっての救いであり、同時に、長義にとっては重すぎるほどの約束でもあったように思います。

歴史上の足利直義の死は病死、あるいは毒殺説があります。

最期の瞬間に、足利兄弟は理解し合えました。
けれど、理解し合えたからといって、すべてが救われるわけでもない。

そのどうしようもなさが、この物語の底に、静かに沈んでいます。

そしてこの結末があるからこそ、同じ舞台に立つもう一組の“兄弟”――伯仲の行く先が、否応なく意識されることになるのです。

直冬の暴走とカゲ、そして伯仲の共闘

足利直義の死に対面してしまった直冬は、尊氏への憎しみを抑えきれず、やがて異変を起こします。

その姿は、もはや人ではなく、強すぎる想いが時間遡行軍によって可視化された存在――「カゲ」と呼ばれるものでした。
花影ですか。まさかな方向から刺されました。
もっと言うならば、みほとせの石切丸も思い出しました。

この場面で真っ先に前に出るのが、にっかり青江です。
「怪異の一種」と判断し、霊刀としての役割を果たそうとする姿は、彼が積み重ねてきた時間と経験を感じさせます。みほとせでの経験もあるからかもしれませんね。

しかし、目の前に現れたものは、霊ではなく、想いが肥大化した“化け物”。

青江が
「霊なら僕が切れるんだけど、あれは化け物だ」
と告げると、五月雨が静かに続けます。

「ここには、化け物切りの刀がいます」

そして後家兼光が、重ねるように言う。
「それも、二振り」

山姥切国広と山姥切長義――伯仲の共闘です。

この共闘は、ただの戦闘シーンではありません。
物語を通して積み重ねられてきた関係性が、ようやく同じ方向を向いた瞬間でもありました。

国広が言う、
「俺が強く在るということは、お前も強いということだ」

それは励ましでも説得でもなく、互いの存在を前提にした、ごく自然な言葉でした。

長義は
「写しのくせに生意気を言うな」
と返します。

けれどそこに、拒絶はありません。
“偽物”とは言わない。
“写し”と呼ぶ距離感のまま、並び立つ選択です。

化け物と化したカゲを切り伏せる伯仲の姿は、“化け物切りの刀”という所以を、これ以上ない形で示していました。

詳細はぜひ実際にその目で観てほしいです。伯仲推しは特に。
自分は最初に観たとき、正直伯仲推しの幻覚かと思いました。

同時にこの場面は、「理想」や「国家」ではなく、個人の想いが暴走した末の姿を描いています。

強い欲望がカゲになるのなら、失われた存在を取り戻したいという願いも、またカゲになり得るのではないか。

ここで提示される問いは、この先の物語に、不穏な影を落とします。

考察:静かに目覚めてしまったもの

ここからは、今作で提示された「カゲ」「今剣」「三日月宗近」を軸にした考察です。
明確な答えは出ませんが、この作品がどこへ向かおうとしているのかを考えてみます。

今作で提示された要素の中でも、 物語全体に大きな影を落とすのが「カゲ」という概念です。

強すぎる想いが形を持ち、 人を、人でないものへと変えてしまう存在。
直冬の変貌は、その最も分かりやすい例でした。

ここで浮かび上がるのが、「強い願い」そのものが危うさを孕むという問いです。

失ったものを取り戻したい。
なかったことにしたい過去をやり直したい。
その願いが、もし実現できる形を持ってしまったなら―― それもまた、カゲになり得るのではないでしょうか。

この問いは、守人の存在と、今剣に関する示唆によって、さらに重みを増します。

祠と共に守人の家に代々伝えられてきた短刀「今剣」と首桶のような箱。
かつて平泉があった地で今剣が代々伝えられてきた一族。
三日月宗近に命を救われて歴史の表舞台に立たずひっそりと生きるよう約束した物部たち。
それは「源義経」とその子孫ではないか?

そして、始まりの刀が折れたことで、今剣が当時の出陣の記憶を失ってしまったことも明かされました。

阿津賀志山異聞で描かれてきた今剣の姿を思い返すと、「顕現したばかりの精神性」だと思っていた振る舞いが、記憶の欠落によるものだったと捉え直せてしまう怖さがあります。

さらに、当時の出陣メンバーとして示唆される 三日月宗近、鶴丸国永、歌仙兼定、今剣、山姥切国広、にっかり青江。

この顔ぶれが並んだ瞬間、 今作が単独の物語ではなく、シリーズ全体の“始まり”と“終わり”を繋ごうとしていることが、否応なく意識されます。

そして、青江の口からさらりと語られた、「三日月は、歌仙が折れる前の時点に辿り着く方法を探しているのかもしれない」と告げられた言葉。

これは希望であると同時に、 非常に危険な願いでもあります。

もし、折れた刀をなかったことにしようとする想いが、強く、執拗に積み重なったなら―― それはカゲと、何が違うのでしょうか。

歴史修正主義者といったい何が違うのでしょうか。

今作は、答えを出しません。
ただ、「願いは美しいが、同時に恐ろしい」 という事実だけを、静かに置いていきます。

そしてその問いは、次に描かれる物語へと、確実に持ち越される。

個人的に恐ろしいと思っているのは、今剣が修行の旅に出ることです。
ゲームでは今剣は修行の旅にでて、源義経と接し、自身が実在する刀ではないことを知って審神者のための刀となって帰ってきます。
それが実在する「今剣」の存在によってブレてしまっている。
修行の旅に出た今剣は折れてしまった歌仙兼定のことも思い出すかもしれません。
何が起こるかわからない恐ろしさがある。

『静かなる夜半の寝ざめ』は一つの物語を終わらせながら、同時により大きな不穏を目覚めさせる作品でもありました。

2部ライブ感想:交わる刀剣男士の“個”

2部のライブは、休憩を挟みミュージカル本編とは空気を切り替えて始まります。
正直飲み込み切れないことも多々ありましたが、楽しもうという雰囲気で始まる2部のライブ。

ライブの熱と勢いとビジュアルにすべてを吹き飛ばされるのもいつものことです。

ただ同時に、これは確かに「1部を経たあとの2部」でもある。
選曲や演出の端々から、物語の余韻や感情が静かに持ち込まれているのも感じられました。

ここからは2部のライブパートについて。
初日配信で披露されたセットリストと、簡単な感想とあわせてまとめていきます。

2部ライブ:セットリスト

全員曲①:OP全員曲
MC身振り手振りで伝わるかな!ゲーム
デュエット曲①へし切長谷部・五月雨江
ソロ①にっかり青江
デュエット曲②山姥切長義・山姥切国広
ソロ②後家兼光
全員曲②:刀ミュ版SHAKE夜半全員
太鼓歴史上人物
全員曲③:第三形態夜半全員
仮:影おくり歴史上人物
刀剣乱舞:夜半アレンジ夜半全員

全員曲①:OP〜2部ライブ全体の第一印象

1部のミュージカルもそうでしたが、全体的に初日とは思えないほど完成度が高い仕上がり。

OPでは、豪奢なマントのような衣装での登場。
思わず「王子様か?」と心の中で突っ込んでしまうほどのビジュアル。

正直、ライブ感想になると語彙は溶けがちです。
「歌が上手い」
「顔がいい」
この二点だけで話が終わってしまいそうになるのが、毎回の悩みどころ。

ただ今作の2部は、ソロやデュエット曲を通して、刀剣男士それぞれの「個」がはっきり見える構成になっているのが印象的でした。

いずれもキャラクター性が前面に出ていて、1部の物語とは切り離しつつも、「この刀はこういう在り方をしている」という解釈が楽しい選曲です。

全体として、深く考えすぎずに楽しめるライブでありながら、自然とキャラの理解が深まる2部、という第一印象でした。

MC:身振り手振りで伝わるかな!ゲーム

くじ引きをして、司会と順番を決め、身振り手振りの15秒間でお題を伝言していくゲーム。
つまりジェスチャーゲーム。

司会:青江
① 後家
② 五月雨
③ 国広
④ 長義
⑤ 長谷部

国広のMCがぐっだぐだになるだろうことは分かります(陸奥一蓮を思い出す)が、五月雨も長谷部も初日だからか、嚙みまくりで全体的にわやわや。

そんな中、司会の青江だけが異様に丁寧で安定した進行を見せます。

長谷部「素晴らしい進行役だ」
長義「お手本みたいだ」
国広「自動音声みたいだ」

隣り合った国広と長義が喧嘩を始めたりとなかなかに自由。

長義「偽物くんの次か…」
国広「は?」
長谷部「そういうことを言うんじゃない」

今だから分かりますが、隣り合ったり何かあるたびに隙あらば言い合いを始め、間に挟まれた長谷部が仲裁するというのが今後のお約束になりそうです。

お題は「らーめん屋」

後家から五月雨までは割と伝わった感がありました。
が、五月雨が余分な動きを入れた結果、山姥切国広で完全に事故。

たぶん国広がまったく読み取れず、自分で何を伝えようとしたのか分かってない。
なぜ投げキッスみたいなジェスチャーを入れたのか。

それを受け取った長義は手で顔を押さえて爆笑し、長谷部に伝えるときにはもうほぼ投げキッスしか残ってなかったのが面白すぎる。

長谷部「もっと何かプラスしてくれ!他にないのか!?」
長義「これ(投げキッス)が強すぎてだな…」

当然、正解者は出ず。

青江「可能性しかないチームだね」
後家「伸びしろしかないね」

現時点で問題しかないってことですね分かります。

全員不正解だったため、最優秀男士は司会の青江が選ばれるという事態に。
だいぶ時間も押してたんでしょう。

五月雨はたぶんほぼ正解に迫ってたと思うんですが、後家の「落とし穴がある」発言で回答を捻ってしまった感じ。

後家「僕かなぁ…戦犯は」

正直いちばんあかんかったのは国広です。

デュエット①:長谷部×五月雨

珍しい組み合わせ。
あえて言うなら紫カラーコンビでしょうか。

ロック調で、キーはやや高め。
そして予想以上に長谷部と五月雨の相性が良い。

五月雨は今までは村雲とのデュエットが多かったですし、ロック調の格好いい曲もあったので安定感が凄い。

長谷部のソロ曲はバラード系が多かったのですが、祭りでは江水に交じって歌うなどロックの適正も高かったのでかなり納得の選曲。

今作では長義のフォロー役に回ることが多かった二振りが、ここでは自分たちが主役とばかりに我を出しまくり、歌い上げる熱いナンバーでした。

ソロ①:にっかり青江

豪奢な衣装に、貴公子のような佇まい。

「花になろうか あなたのために」
「どんなこともしてあげるよ」

と歌う、優しく穏やかなバラード。

けれど「僕がそばにいられる」というフレーズが示すのは、“あなたのため”であると同時に、“自分がそばにいたい”という願いです。

優しさの中に少しの我を滲ませてくるのがなかなかにズルい。

仲間が増えることを恐れ、守れないかもしれない不安を抱えていた青江が、寄り添うように歌うのは胸に沁みるものがあります。

今になって思えば青江も国広と同じようにトラウマを抱えた刀だったんですね。

単騎を経て修行に行き、極めたことで向き合えるようになった青江の成長を感じさせる一曲でした。

デュエット②:山姥切長義 × 山姥切国広

国広が、わっるい顔をしている。ニヤリと笑い、とにかく楽しそう。
一方で長義は終始ツンとすました表情。高慢さよりも、品の良さが際立ちます。
ロック調で、対照的な表情が印象的。ぶっちゃけると表情管理ヤバいですね。

キーは高めなんですが、ドスの効いた低音が響き、「ピー」音がダウナーな雰囲気を醸し出して、どこかアングラで「見てはいけないもの」を覗いているような感覚を生みます。

向かい合って歌い、ワンフレーズごとに言い募るように交互にぶつかる視線。
同じ振り付けでありながら、細部の違いが際立つダンス。
このシンメ感こそが「伯仲」だと感じさせます。

共闘のときもそうでしたが、1部から2部まで通して、互いに譲らず、それでも並び立つ関係性。
そんな「伯仲の仲」が描かれているように感じました。

ソロ②:後家兼光

坂龍飛騰では笹貫とのえっろいデュエットをぶちかましてたと思えないくらい、しっとりした優しい曲調。

後家にとっての愛は個人への執着というより、もっと大きな対象に対しての信愛を丸ごと含めてるように感じます。

長谷部や五月雨の長義への心配や心配りを「愛」と評していたのもそうですが、エロースではなくアガペーというか。

直江兼続の刀であることを思えば確かに「愛」の一字は切っても切り離せないでしょうね。

青江が歌うのが「個人へ向けた愛」なら、後家は愛や恋を「永遠」や、「時を超えるもの」というような何か崇高なものと捉えている印象でした。

それぞれが考える愛や恋へのスタンスが少し知れたような気がします。

全員曲②:シュビッデュビダンシング!

曲がかかったときに中央にいる後家に全員が突撃して団子になってるのがホントに信じられないくらい可愛い。

SMAPのSHAKEみたいな、明るくてハイテンションなアイドルソング。

青江のノリに乗った感じがとても可愛い。時点で乗ってるのが後家。

長義はまだ恥じらいが残ってる感じがしますね。青江の全力セクシーポーズを見なよ。

作中最古参と思えないほどの振り切れっぷりとみんなの可愛さにニコニコしてしまう1曲。

全員曲②:ロックスター~第三形態

とにかくカッコいい。
サビで「ロックスター」と歌う姿が本当にスター。

第三形態は最初に登場した時の衣装からソロやデュエット曲で上着を脱ぎ、さらに脱いだ終盤の全員曲の衣装で肌面積が増えることが多いので脱ぎ曲とも言われる訳ですが。
今作は青江がいるからか、肌面積は多くはないのですが、フェチな感じがしますね…。
サスペンダーやカマーバンド、グルグルにまかれたベルト(名前分からない)とか。

国広、長義と長谷部は江水ぽいマイク。
青江と五月雨、後家はスタンド付きマイク。
マイクの持ち方にも個性を感じます。

そして五月雨のシャウトが本当にカッコいい。
喉を大事にしてほしいですが、ずっとやってほしいとすら思ってしまいます。

「まだまだ行くぜ 俺たちロックスター」

今回の曲はロック調が多い感じがする。

伯仲が互いに向き合ったシャウトする場面は、メンチを切り合ったドームの獣を思い出しますね。(伯仲推しの死)

初日公演でこの完成度と治安なら千秋楽は一体どうなってしまうのでしょうか。

歴史上人物曲:(仮)影おくり

月が落とした影がここにある。あの夜半の光に差した影。

足利兄弟にとっての光が理想を語り合った夜半のひと時で、その光が落とした影、闇の部分が理想をともに追いきれなかった兄弟の別離ということでしょうか。

影おくりと言うと「ちいちゃんのかげおくり」のように戦争の悲惨さと日常の尊さをテーマにした絵本を思い出すのですが、これもイメージとして間違ってはなさそう。

足利兄弟の物語と重なり合い、静かに、しかし深く余韻を残す一曲でした。

まとめ:終幕へ向かって動き出した刀ミュ

『ミュージカル『刀剣乱舞』〜静かなる夜半の寝ざめ〜』は、シリーズの中でも明確に「転換点」と呼べる作品でした。

刀ミュは2027年で本公演が完結予定とされており、残りはあと2年。
今作ではその事実を無視できないほど、物語が大きく動き出します。
伏線として置かれてきたもの、どこか遠くにあったはずの問いが、一気に舞台の中央へ引き寄せられた、そんな感覚がありました。

1部で描かれた足利兄弟の物語は、分かり合えたからこそ、失われたものの重さが際立つ結末でした。
静かな夜半に理想を語り合った記憶は確かに残りながらも、歴史はそれを許さず、容赦なく切り捨てていく。
そのどうしようもなさが、今作全体の温度を決定づけていたように思います。

そして同じ舞台に立つ伯仲は、同じ結末を選びませんでした。
すれ違い、衝突し、それでも周囲に支えられながら、互いを理解し同じ方向を向く選択をした。
悲劇の反復ではなく、「別の可能性」を提示する存在として描かれていたことが、この作品に確かな救いを残していたと感じます。

2部のライブは1部の重さを一度切り離し、刀ミュとしての楽しさと高揚感をまっすぐに浴びせてくる構成でした。
物語で心を揺さぶられたあとでも、「またこの本丸に会いたい」と思わせてくれる力が、きちんとあります。

今作は、すべてに答えを出す作品ではありません。
けれど、これまで曖昧だった問いをはっきりと観客の前に差し出し、覚悟を問うように「これから何を見ることになるのか」を静かに突きつけてきます。

この先、何が描かれ、誰が選び、何が失われるのか。
楽しみであると同時に、少し怖さもある。
そんな感情を抱えたまま、次の物語を待ちたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました